「……何、あれ」
せめて慰めてくれたってバチは当たらないんじゃないのか。さっきまで好き勝手やってたくせに。
ゴロゴロと何度も寝返りをうって、机に置かれたグローブが目に入るたびに苛立ちが生まれた。こういうのをきっと、むかつくって言うんだろうな。
そっと溜息をついて、寿也は目を伏せる。身体はさっきまでの行為でかなり疲れているのに、頭ははっきりと冴えてしまっている。眠りにはほど遠かった。しかも目を閉じて浮かんでくるのはあの出来事だ。
もう男の顔なんてちっとも覚えてなんかいなかった。けれど、ただはっきりと浮かぶのは広げられた掌と囁かれた五万円という値段だけ。
それはまるで、見ず知らずの人間に、自分の価値を勝手に決められてしまったようですごく腹が立つ。たとえば、提示された金額が十億だろうと一円だろうときっと同じ気分になったはずだ。
あの男の、五本の指を思いだすたびに胸がもやもやと、汚いものに覆われていくような感じがする。魚の骨のような、すごく小さいけれども何かが刺さっているみたいで、少し動くたびに胸がちくりと痛んだ。
それをごまかすように何度もまばたきをする。誰もいない、閑散とした部屋が自然と目に映って、また溜息が零れた。
「……吾郎君の馬鹿」
ここに来て吾郎の顔を見て、本当はすごく安心したのだ。だからこそ、きついことを言われて悲しくて、悔しかったのに。どうせ、気づいてないんだろうけど。
傍にいるのに気持ちが伝わらないことが、こんなにも辛いのだということを初めて知った。これが野球だったらもう少しうまくいったかもしれない、と思う。
遠くから木製のドアが軋む音がした。でも寿也はそれに気づかないふりをすると、逃げるように壁際に寄ってきつく目を閉じる。それこそぎゅっと音がするくらいに。
吾郎の重みでまたベッドが沈んだ。ふわりと漂ってくる石鹸の匂いが近づいたと思ったら、瞼に乾いた感触が走る。
「寿也」
起きろと言うように、やんわりと瞼が食まれた。くすぐったさに負けて仕方なしに目を開く。
「もう少し、自分のこと大事にしろよ」
そのときの彼の表情は、ぶっきらぼうな言い様の割にとてもやさしいものだった。そして自分はこの笑顔の意味を知っている。
吾郎が怒っていた理由がようやく分かった。
「……もしかして、心配してくれてたの?」
「あのなぁ……。当たり前だろ。お前かわいいくせに無自覚だし」
馬鹿、と吐き捨てるように囁かれ抱きしめられた。その腕の強さが、言葉では到底表そうとしないだろうけど、すごく心配したと雄弁に語りかけてくる。
背中に触れる大きな掌は、膨大した嫌悪のかたまりを溶かしていくようなあたたかさを持っていた。
「今度から、気をつけるようにするよ」
「ま、寿はどっか抜けてるとこがあるしな」
「……悪かったね。でもかわいいっていうのは吾郎君だけだと思う」
「ファンとかマスコミとかに騒がれてるくせに?」
自分でも否定できない痛いところを突かれて、いたたまれなくて顔を逸らす。こういうときだけ口が達者になる吾郎はつくづくずるい男だ。
「拗ねんなよ」
子供をあやすような軽いキスが頬に落とされた。何度も何度も繰り返される内に、そこから熱が広がって、心臓がどくどくとうるさく叫ぶ。
「吾郎君……」
そっと、背中にあった腕を持ち上げて首に回した。そして自分から唇を寄せるとすぐに求められて、そのまま舌を絡めあわせる。
「ん……っ」
口から漏れる吐息も熱いが、触れ合っている部分はそれ以上だった。
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