「うるせぇ……!」
断続的に鳴り響く音に吾郎は折角の心地よい眠りから引きずり下ろされて、不機嫌を隠さずにのっそりと起き上がる。
諸悪の根源は枕元の電話にあった。吾郎が強引に受話器を取ると看護師の声が聞こえてくる。電話を繋ぎたいが時間が遅いからどうしましょうかと尋ねられた。だったら最初から起こすなよ。
もう色々と面倒臭くて適当にあしらうことにした。
電話先の相手が誰だか分からないが、文句の一つでもぶちまけてやらないと気が済まない。単なる八つ当たりだと分かっていても、吾郎は苛々と繋がるのを待った。
「――もしもし、吾郎君?」
電話の相手を察した瞬間、吾郎は固まった。
喉まで出掛けた言葉をすんでの所で押しとどめて、辛うじて平静を装う。勿論顔は見えていないのだから意味はないけれど。
いや、待て、まだ心の準備が――。
いきなりのことに鼓動がばくばくと跳ねている。深呼吸を繰り返して、少し離していた受話器を耳に当てた。
「寿也?」
「……吾郎君」
機械越しに響くのは、昨日会った彼の、少しくぐもった声色だった。受話器に手を当てて話しているのだろう。
「よく知ってたな、ここの番号。教えてねえのに」
「早乙女監督に聞いたんだ。昼間会ったんだろ?」
「ああ。相変わらずだったぜ、あのオッサンも。一軍の監督も来たいって言ってたけど、とりあえず断っといた」
遡ること今日の昼。家族とチームメイト以外の来客は初めてで、それが早乙女兄妹だったことに思わず溜息をついてしまった。
そこで、海堂二軍との練習試合でのことや昨日の試合中のいきさつを説明されて、すべて江頭の起こしたことであり、被害者と呼べるものは吾郎だけではなく、海堂の選手達――もちろん吾郎の足を踏んだ部員も含めて――ということだった。
また、ベンチでの寿也を始めとしたナイン達の反抗も耳にして、やっぱりあいつらも野球が好きだったんだなと改めて思う。江頭の行う汚い方法に腹を立てたのは、きっと自分達の野球に誇りと自信を持っていたからだ。それを土足で踏みにじるようなことをされて、黙っていられるほど大人ではないのだろう。
吾郎にはそれだけで充分だったから、もう謝られる筋合いも必要もないと考えた。そんなわけで一軍の監督の件は丁重にお断り(泰造に迫られもしたが)しておいたのだ。
「吾郎君。……怪我は、その、大丈夫?」
寿也の、明らかに震えを含んでいる言葉は、語尾が消えかかっていた。それが、昨日の試合後の泣きそうな表情とリンクして、少しでも安心させてやりたいと口早に「大丈夫だって」と伝えた。
「半年もすりゃまたマウンドに戻れるってよ」
「……本当に!?」
「ああ。だから心配すんな。ま、俺の半年は三か月で十分だろうけど」
少しふざけた軽い口調だったのに、寿也はただ黙っている。名前を呼んでみるが、返事がない。代わりに、床に名にかが落ちたような鈍い大きな音がした。
「寿也?おい、大丈夫か」
「ごめ……安心したら、受話器落としちゃった」
「……お前なぁ」
昨日までの厳しい態度はどこに行ったんだ。そこまで物事を態度に出す寿也は珍しい。
もしかしたら、海堂のキャプテンとして、吾郎の友人として、寿也はすべてをたった独りで抱え込んでいたのではないだろうか。
「吾郎君、ごめん」
「へ?」
「……本当に今更だけど、今回のことは全部うちの責任で、キャプテンである僕の責任だ」
うなだれる寿也を想像して、眉をしかめた。彼のことだから、きっと余計なことまで考えていたに違いない。病状が分かったらすぐに電話してやればよかったと後悔した。
「何言ってんだ。元はと言えば江頭だろ。お前にも海堂にも責任なんざねえよ」
確かに、怪我の元は海堂二軍との試合と江頭が原因だった。でもあの後、何人もの医者の忠告を無視して登板したのは吾郎本人だ。野球人生を棒に振るなとも言われたけれど、なんら後悔はしていない。
大体、怪我がひどくなることも予想済みだったから、最悪の事態を避けられたことだって、正直ラッキーだと思っている。
だから、誰にも頭を下げて欲しくなかったし、ましてや同情もされたくなかった。自分達は力を出しきった。怪我があろうとなかろうと負けは負け、その事実を受け止めるためには。
「謝るぐらいなら甲子園優勝してこいって。そうすりゃ少しはウチの強さが他校の連中に分かるだろ。それでチャラだ」
まず決勝はコールド勝ちなと付け加えて、吾郎は受話器を強く握った。
目の前に寿也がいれば、もっと上手く言葉をかけられたのかもしれない。いや、そんなことをしなくたってただ笑っていればいいだけの話だ。それが寿也を一番安心させるものだと知っている。
それが出来ないからもどかしい。言いたいことを表現できない吾郎にとって、電話をするというのは意外に難しかった。
「――分かった。甲子園、絶対優勝するから」
やっと、いつもの揺るぎない自信が垣間見えて、もう大丈夫だろうなと何となく分かった。
その前にさ、と寿也は続ける。
「お見舞いに行きたいんだけど、都合が悪い日とかってある?」
Next→