渡米する日がだんだんと迫ってきている。
しかし、吾郎はそんなには焦っていなかった。調整は思った以上に上手くいっていて、球の威力、スピード、キレ、全て申し分ないくらいにまで鍛え上げられている。
あとは向こうでどれだけ自分をアピールできるかにかかっていたが、それについてはあまり心配していない。大丈夫だと言える自信をいらないくらい、吾郎は持っている。
「……もうすぐか」
トレーニングを終わらせて部屋に戻ると、ベッドに寝転がりながら目を伏せた。
最近、夢をよく見るようになった。それも、同じ内容のものが何度も何度も、壊れたビデオテープのように繰り返し脳裏に映っては消える。その原因が何なのか、吾郎にはよく分かっている。
あの時のものだ。
「何でもない」と言っていたけれど、寿也は泣きそうにも見えるような、儚い微笑みを浮かべていた。
伸ばされた腕。もしもあれに、無理にでも手を差し伸べていたら。もしもあの腕が自分のところまで伸ばされていたとしたら、自分たちの関係は変わっただろうか。少なくとも、こんな、曖昧でぎこちない仲にはならなくてすんだのかもしれない。
あの時寿也は確実に何かに苦しんでいた。しかし、そんな表情を、吾郎は知らないふりをしたのだ。
どうして自分から手を伸ばせなかったのか。
アメリカに行くことを決めてからずっと、自分勝手な気持ちを寿也に押し付けて、置いていってしまっていいのかと思い悩んだ。昔、そうされたときの寿也の葛藤や苦しみは一体、どのくらい深いものだったのだろうか。知るに及ばないが、それでも、もうそんな思いはさせたくなかった。
けど、それこそ俺の自己満足だよな。
嫌われたくないがための、ただの自己防衛。それに気づけたのはいいけれど、だからといってどうすればいいのかなんて分からない。
せめて寿也が自分のことをどう思っているのかだけ把握できればいいのだけれど。
キスも拒まれなかった、けれど逃げられて、その後にはまた会ったし、ついでに手を伸ばされかけた。
すげー分かりにくい。
彼の行動に一喜一憂しながら振り回されている自分を認識し、なんだか馬鹿らしくなってきた。吾郎は腹筋を使って軽々と身体を起こす。
そのとき、ふと壁のカレンダーに目がいった。桃子がトライアウトまで、しっかりと計画を立てるように年末にかけてくれたものだ。一月も終わりに差し掛かっていて、一枚捲ると赤丸の下に「吾郎、アメリカ行き」と書かれている。――それはともかく。
「……もうすぐ、入寮じゃねーのか」
突きつけられた事実は、ひどく重く身体にのしかかってきた。入寮、すぐにキャンプイン。確か、どこかのニュースキャスターがそう寿也のことを伝えてはいなかっただろうか。
そうなってしまったら、今までみたいに気軽には会えなくなる。吾郎がアメリカに行ってしまえば、それはなおさらだ。
紙の上の数字の羅列たちが、抱えている想いを伝えるのは今しかないと暗に告げてくる。
どうすればいいのか分からなかった。傷つけるかもしれない、それでも今言わないと、一生後悔するだろうという確信だけがある。
ウィンドブレーカーを羽織って、吾郎は急いで階段を下りた。
「ちょっと吾郎、どこ行くの?」
「ヤボ用だよ。すぐに戻るから!」
驚く桃子の声を背に走り出す。一月の冷たい風が遠慮のかけらもなしに頬に刺さった。
欲張りだと言われてもいい。でも、気持ちで繋がっていたいという自分の気持ちに、やっぱり嘘はつけなかった。
どこにいようと、自分たちは絶対に野球をしている。それは確実だけれど、それじゃあ足りない。
「寿、こんなときに言っちまって、本当は悪いって思ってる。でも言わせてくれよ。……お前のことが、好きだ」
部屋に上げてもらい、驚いた落ち着かない表情をする寿也を見つけた。吾郎がそう声に出すと、傍目からもわかるほどびくっと彼の肩が震える。泣きそうな瞳が一瞬見えたが、すぐに伏せられてしまった。まなざしが縋るようだったのは幻想なのか。
寿也は首を、静かに横に振った。
「ごめん。――君はメジャーに行く、僕はプロになる。重荷にしたくないし、なりたくない」
至極真っ当な意見だった。男同士なんてスキャンダルのいい餌食で、下手をすれば互いに一生野球が出来なくなるかもしれない。寿也は淡々とそう述べる。
そのぐらい、吾郎だって考えた。けれどもそんなので割り切れるような、軽い気持ちで告白したわけじゃない。何があったってどうしようもならないのが、この感情だ。
「そんなのよりもっと大事なもんがあるだろ」
いくら離れていたって、世間の目が厳しくったって、自分は寿也を好きでいつづけるだろうと、そう思っている。
でも彼は強張った面持ちのままやはりかぶりを振る。
「ないよ。僕らには野球が全てだろ。結局それが出来なくなったら……」
「野球なんざプロじゃなくてもどこでも出来る」
「それは理想論だ。現実はそんなに甘くない」
知っている。それぐらい分かっている。
唇を噛み締めた。血の錆びた味を口内に感じる。
「理想だの現実だの、さっきからうるせーんだよ」
「じゃあ、君は何が言いたいんだい?」
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