眠れない。今日何度目か分からない寝返りを打ちながら、寿也は布団の中で丸くなる。
(どうしたんだろ、僕)
枕元の時計の針は、いつもならとっくに寝ている数字を指していた。どんなに目が冴えていても、布団に包まれればすぐに眠れてしまうくらい寝付きがいい寿也にとってこんなのは初めての経験で。
仕方なしに原因を探ろうと考えを巡らせてみた。
今日はいつも通りの練習で自主トレもしっかりと行い、身体は心地よい疲労感に包まれている。いつもと同じ。原因が他にあるとしても、コーヒーはあまり好きではないし寝る前に緑茶も飲んではいない。
じゃあ、なんで眠れないんだ。
理由は分からず余計に疲れただけで、寿也は意を決して身を起こした。これ以上ここにいても疲れるだけだろうから水でも飲もうと思い、そっとベッドから下りる。上では吾郎が寝ているはずだから、起こさないようにゆっくりと……。
「とーし君」
「うわ……っ!?」
いきなり背後から抱き付かれて、寿也は時間も忘れて大声をあげ……そうになって慌てて口を塞ぐ。そんな自分の様子を見て、未だ抱き付いたまま確信犯が喉を鳴らして笑った。
「……吾郎君、何してんの」
眠れない上にからかわれたことを知った寿也が低いトーンを出せば、吾郎の動きがぴたりと止んだ。
「や、ちょっと驚かせてやろーかなって思っただけで……だって珍しいじゃん。お前が夜中に目覚ますなんて」
言い訳をあたふたと述べながら更に体重をかけてくる吾郎の腕を叩いてやろうかと思い(勿論右手をだ)寿也が身じろぐと、ん?と背後の人間に抑えつけられた。
「お前、すっげー冷てぇぞ!?」
「え?」
「ほら」
後ろから伸びてきた腕が、寿也の両手を軽く掴んだ。指先からじんわりと吾郎の熱が伝わってきて、そういえば触れている背中も同じように、さっきから暖かかったと気付く。
「風呂上がりに誰かに呼ばれてただろ。その所為で湯冷めしたんじゃねぇのか」
そう言われて、寿也はあ、と声を上げた。
テストが近いからか、最近は勉強をする生徒が多くなっている。それは野球部内でも同じで、成績のいい寿也の所にチームメイトは度々質問をしに来る。
それは今日も例外ではなく、寿也は風呂を上がった直後に、談話室で一時間近く捕まってしまった。
「だから眠れなかったんだ……」
睡眠とは、体温が高くならないと基本的に訪れない。寿也は軽い冷え性だったので、風呂上がりにはいつも身体を冷まさないようにしていたのだが、それを失念していた。
「やっぱ眠れてなかったのか」
「知ってたの?」
「ああ。お前の寝息が聞こえてこなかったし、もぞもぞ動いてる音がしたしな」
「もしかして、起こした?」
巻き込んでしまったという申し訳なさに寿也が俯くと、包まれていた両手が離れていき、吾郎の自由になった両腕にぎゅっと抱き締められた。
「寿の所為じゃねぇよ。俺、結構このぐらいまで起きてること多いんだぜ」
「本当に?」
「ああ」
頬に不意打ちの口付けを落とされて、寿也の身体が竦んだ。その反応に満足したらしい吾郎は身体を離すと冷蔵庫の方へ向かう。
「座って温かくして待ってろ」
うん、と返事をして、とりあえず自分のベッドから毛布を引っ張ってくる。寿也はソファに腰掛けるとそれを膝の上にかけた。
うっすらと暗い向こう側で、吾郎は何をやっているのか。少し物音がして、聞き慣れた電子音が部屋に響いた。それからすぐに、二つのマグカップを手に吾郎がやってきて薄黄緑の片方を手渡される。
「それ飲んどけ。身体温まるから」
そう言って、余ったブルーのマグカップを口にしながら吾郎も寿也の隣に座った。
すぐに甘い匂いが二人の回りに纏わりつく。吾郎がくれたのはホットミルクのようだが、気のせいか、なんだか違う感じがする。
飲むタイミングを逃しただ白い液体を眺めていたら、そんな自分を見越して、隣からは毒なんて入ってねえよと笑われてしまった。
「別に、そんなこと思ってないって」
「んじゃあ早く飲めって」
急かされるままにホットミルクらしき液体に息を吹き掛け、一口流し込む。
それは確かにホットミルクだった。けれども、すぐにほどよい甘みが口の中に広がってゆっくり溶けていく。
「ハチミツ?」
「そ。美味いだろ」
「……うん、すごく」
素直な感想だった。すごく美味しいのに、他に言葉が見つからず、黙ってまたカップに口を付ける。
「これさ、死んだおとさんが昔作ってくれたんだ。寒くて眠れない夜に『特別だぞ』って言って。……まあ、おとさんもおかさんに教わったって言ってたから、俺にとっておふくろの味なのかもしれねえけど」
吾郎は懐かしい昔を思い出すように、優しい目差しをしていた。それは、初めて吾郎と出会った時に一度だけ会った、彼の父親から向けられたものとひどく似ていて。
「どうした?寿」
「ううん。何でも」
そっくりだ、という言葉を手元のホットミルクと一緒に飲み込んだ。
だんだん身体が芯から温まっていくのが分かって、寿也はほぉっと息をつく。吾郎はもう飲み終わったらしく、マグを片手に弄んでいた。
「早いね。よく飲むの?」
「寿が猫舌なんだろ。……作ったの久しぶりだし、ちょっと手間取っちまったけど」
「そっか」
「ま、文字通り『特別』だからな」
誰にも内緒だぞ、と子供の頃の秘密の話のように吾郎は声を潜めて微笑んだ。言葉とは裏腹の大人びた表情に心臓が高鳴り、それを隠すように寿也は慌てて残りを口にする。顔が熱いのは多分、気のせいなんかじゃない。
いつもがさつで子供っぽい吾郎が時折見せる意外な一面に、寿也は滅法弱かった。脳がフリーズしたように働きを忘れて、いつもなら言える切り返しさえ思い付かない。
「寿也は俺にとって特別だから、おとさんも許してくれるだろ」
「……っ」
飲み終わったカップを洗いに行こうとして、立ち上がった吾郎がまたもさらりと爆弾を落としていった。ありえないぐらいに恥ずかしい。どうしてこういうことを普通に言ってしまえるのか、吾郎の考えを理解するには一生かかっても無理なんじゃないかとこめかみに手を当てた。
「吾郎君ってずるい」
「は?何がだよ」
全く分かっていないところが余計に悔しくて、寿也は空っぽの、まだ温かいマグカップを両手で持って拗ねたように目を逸らす。
「あ、まだ寒いなら添い寝してやろーか?」
吾郎を一瞥すると、笑いながら寿也の分のカップを奪って水道に向かってしまった。どうやら冗談半分、本気半分という所だろう。
「……全く」
強引な時もあるくせに、妙なところで手を引くんだから。扱いに困るなんてらしくないなぁと苦笑を浮かべて、寿也は吾郎の背を追った。
*
私は飲んだことないですけどよく眠れるらしいです。
寿也が末端冷え性だったらかわいいと思いました。