:: ハートが帰らない ::
 本当はとっくに彼の弱点である抜け球を、寿也は見抜いていた。それなのに、一人の部屋で何度も何度も繰り返しビデオを再生する。まだ何かあるんじゃないかという言い訳とともに。
 寿也の前には、目に馴染まないユニフォームを着た、吾郎の姿があった。

 一年前よりも逞しい腕が振り下ろされ、うつくしい真っ直ぐなラインを白球が描く。 こうしてテレビ越しに見ているだけでも速さを感じるのだから、バッターボックスに立てば手が出せないかもしれない。
 しかし。
「また、か……」
 思わず呟きが漏れた。
 画面は聖秀の守備を映している。平凡な内野ゴロだが、ボールがグラブから零れて一塁はセーフ。内野安打になった。
 吾郎の投球は完璧なのに、守備が全く出来ていない。ゴロの処理さえ失敗する、彼のチームメイトが足を引っ張りまくっているのは言うまでもなかった。
 まともに野球が出来るのは、あのキャッチャーぐらいかと思ったが、見た限りあまり肩も強くないし、リードもずば抜けているとは言い難い。結局、吾郎一人にのしかかるワンマンチームなのか。
「……」
 いつの間にか爪を噛んでいたことに気付いたけれど、寿也は止めようとはしなかった。

 不敵に笑うピッチャー。しかし、マウンドの上ではいつも孤独だということを、選手ならば誰もが知っている。
 それなのに、何故助けてやらないんだろう。

(僕なら、僕があそこにいたら、あんなことしない)
 もっと彼の真っ直ぐを引き出してやる術を知っている。それだけじゃない。リードも、バッティングも、寿也はこのキャッチャーよりも自分の方が何倍も優れているという自信がある。
(なんでこんな所を選んだんだよ。もっともっと、上に行ける実力があるのに)
 悔しくて、床を勢いよく叩いた。静かな部屋にはその鈍い音と聖秀の勝利に沸き立つスタンドの歓声だけが響く。
 仲間に囲まれて、吾郎は嬉しそうに笑っていた。それは一年前と何ら変わらない表情で、ただ、向けられる対象が違うだけだ。
 寿也が望んでいた、手に入れることの出来なかった世界がそこにはある。
「なんで……っ」
 忘れていたはずだった。吾郎に対するこんな気持ちは。汚くて、ずるくて、情けない自分の感情。それは吾郎が出ていった日に失くしてしまったつもりだったのに。
 そうしようと思えば思うほど、記憶は鮮やかになってくる。野球をすることによって抑えこんでいたそれは、皮肉なことに、野球によって寿也の元に返ってきた。
「おかしい……絶対におかしいんだ」
 自分に言い聞かせるように寿也は繰り返し呟いた。
 こんな気持ちはおかしい。吾郎に傍にいてほしい、彼のキャッチャーじゃなく、自分だけに投げてほしいだなんて、あまりにも身勝手じゃないか。
 一度だけ交わした、吾郎とのキスも風化する事なく残っている。どうして拒めなかったのか、あの時の自分の気持ちが全然分からない。
 これでどちらかが異性ならば「恋」という選択肢もあったはずだ。でも、吾郎も寿也も男同士で、ましてや女のような可憐さや柔らかさを持ち合わせているわけでもない。
 それに、と寿也は思う。
 もしもこれが恋ならば、もっと綺麗なものなのではないか。
 テレビや雑誌で覗く「恋愛」はとても幸せで、美しくて、優しいものだ。
 こんなにも汚い自分の感情が呼び起こすものなど、絶対に違う。

 寿也は黙ってテレビを消す。途端に部屋は静まり返って、自分がたった一人なのだということを知った。
 部屋にはもう、二段ベッドはない。整理された自分の荷物の隣、乱雑に置かれた誰かの荷物も。
 今更寂しいだなんて馬鹿みたいだと、寿也は立ち上がると洗面所に向かい、頭から冷水をかぶった。
 あれからずっと、消えないものがある。吾郎に感じた胸の苦しみと、触れた唇のあたたかさ。
「……大丈夫。僕らは絶対に勝てる」
 口癖のように繰り返してきた言葉が、ずっしりと胸の中に落とされた。


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