何も考えないようにすればするほど、どんどん鮮明に浮かび上がる記憶が、今、吾郎を苦しめていた。
瞼の裏に焼きついて離れず、フラッシュバックのようにいつでもどこでも現れる、眉村と寿也の対峙する姿。そこは誰も――自分でさえも入り込めない神聖な場所のように思えた。瞬く間にグラウンドに響き渡る金属音。青空に浮かんだ白い点が、バックスクリーンにぶつかって小気味のいい音をたてる。
仲間達が喜ぶ中、吾郎はただ一人の背中を追った。ベースを回る彼に「打て」と焚き付けたのは他でもない自分。そしてそれを実行した寿也。言葉にしてしまえば至極あっさりと終わってしまうが、眉村の球は「普通の練習」をした人間には決して打てない。夢島の練習は尋常じゃないと思ったが、それでも彼を打ち取ることが出来なかったということは、やはり眉村自身が更に進化したこともあるのだろう。
しかし、寿也はそれ以上だった。夢島での練習の他に自分とのキャッチボール、そして自主トレをしていたことを吾郎は知っている。それこそ他人の何倍もの。
あのホームランは寿也のこの六か月の集大成を物語っていた。
(じゃあ、俺は?)
確かに球は速くなったし、打たれることもなくなった。でも、もしあのマウンドに立ったのが眉村でなく自分だったら?そう思えば思うほど吾郎はいたたまれなくなった。今の自分では寿也には勝てないと、今日の試合で確信してしまったからだ。
寿也の実力はそれぐらいの価値のあるものだった。現に特待生組はもう寿也に目を付けはじめている。薬師寺に廊下で出会った時、こう尋ねてきた。「なんで佐藤は特待生じゃないんだ」と。
もちろん、寿也と共に野球をしたいという気持ちだって吾郎の中にしっかりと芽吹いている。彼となら一軍もとれるだろうし、これなら甲子園なんて楽勝かもしれない。
だが、それは犯人の分かった推理小説のようなものだった。そんなものをいつまでも読む気になれるほど、吾郎は気長じゃない。眉村と寿也の対決の他に、吾郎の頭にはちらちらとまだ見ぬ場面が浮かんでくる。ピッチャーである茂野吾郎と、バッターである佐藤寿也の、真っ向からのぶつかりあいが。
寝る暇も惜しみ、何時間もかけて考えたことは、どれも最終的には「海堂を出ていくこと」に繋がっていて、吾郎は天井を見上げて溜息をつく。
ここに来たことも、そしてここを出ることも大したことじゃない。海堂と戦うのだって、自分をもっと磨き、仲間を集めれば自然と見えてくる道だった。
問題なのは、今ベッドの下で安らかな寝息を立てている寿也のことである。
(合わせる顔がねえよな……)
どこでもいいから一緒に野球がしたい、と言った寿也を海堂に誘ったのは吾郎だ。寿也の祖父母が彼をここに入学させるために一生懸命になってくれたことも知っている。そんな彼に今更「お前と戦いたいから一緒の野球部にはいられない」などと言うことは、あまりにも無責任じゃないのか。
迷いが生じる度に寝返りをうっていたためか、そんなに古くはない二段ベッドが悲鳴をあげた。答えは一向に出ず、夜も深まっていく。
吾郎は焦った。決心がつかないまま、明日寿也に会えば、この先どんなことになろうとも後悔してしまう気がした。それは漠然とした不安となり、吾郎を蝕んでいく。
自分が曖昧なままではきっと、相手が素直に聞いてくれるはずもない。随分と都合がいいかもしれないが、納得はされなくても拒絶はされたくなかった。それが一番の恐怖であり、吾郎にとっての鬼門である。
「吾郎君」
「……へっ!?」
階下からの声に吾郎は心底驚いた。今幽霊が出てきても多分こんな風にはならないだろう。心臓が壊れそうなくらいばくばくと音を立てている。
「まだ寝ないの?」
「いや、眠れないつーか。起こしちまったか?」
「ううん、別に……」
普段よりも幼い感じの声音に、寿也が寝ぼけていることを知る。初めての場所なのに妙に寝付きがいいのが唯一の救いだった。
「早く寝ろって。明日も練習あるしよ」
自分のことを棚に上げてそう言うと、おざなりな返事が返ってきた。すぐに睡魔に引き込まれそうで、思わず苦笑してしまう。
「吾郎君」
寝ぼけているのかいないのか。もう一度、寿也から名を呼ばれて吾郎は天井を向いたまま尋ねる。
「どうした?」
「楽しかったね、試合」
「……ああ」
「また速くなってたよ」
嬉しい言葉だけれども、素直に受け取ることはできない。
「まだ眉村には勝てねぇ」
声に出せば余計に悔しくなって吾郎は豆の潰れた自分の手を見つめた。こんなんじゃまだ足りないのだと、眉村に笑われた気がして、唇を噛み締める。
しかし、優しい口調が、確かに空気を震わせて吾郎のもとにやってきた。
「……吾郎君だって負けてなかった」
「えっ?」
「まだまだ、君は速くなるよ。僕が保証する」
先程、寿也が声をかけてきた以上に驚いて、吾郎は身を起こすと下を覗くと、寿也は目を閉じて動かない。規則正しく刻まれる呼吸を聞いて、眠っているのだと胸を撫で下ろした。
「そういうの、目ぇ見て言えよな」
不覚にも涙が出そうだった。吾郎も認める一流のキャッチャーに言われた言葉は自然と胸の中にストンと落ちてくる。
それならばバッターとしての、寿也の本音は。彼はもっと速くなる自分の球を望んでいるが、それを打ちたいと思ってはくれないだろうか。
「……悩むなんてらしくねぇか」
言葉では上手く伝えられないのなら、自分の野球で伝えればいい。お前は俺の球を打ちたくはないのかと。
そのためには、真っ直ぐに磨きをかけるしかない。元々今の実力では海堂を倒すには足りないのだから、それも含めて、自分の限界に挑戦すればいいのだ。
「うっし。やってやろーじゃねえか」
希望という一筋の光が見えて、ようやくいつもの自信を取り戻した。吾郎は自分自身に気合いを入れると、疲労した身体をベッドに投げ出す。
どんなに辛い日があろうとも、寿也の言葉があれば乗り越えられると、そう思った。
*
色々悩んでくれないといたたまれません(寿也が)。
吾郎は寿也が好きなんだかよく分からなくなりました。でも少しは彼のことも考えてくれてればいいなぁと。
CP色薄くて申し訳ないです。