はやる心を押さえることもせず、吾郎はただ一心に腕と足を動かす。松葉杖の不自由さにはもう慣れていて(そして大抵そうなる頃には必要なくなるのだけれど)以前よりも速く歩けるようになっていた。でもそれだけじゃなく、きっと目的地に寿也がいることが原因なんだろう。
会いにいきたい。
その言葉には嘘偽りもなかったし、本心から望んでいたことだった。
ただ、「待つ」という行為によって傷つけられたことのある彼が、それをあまり好んではいないことを知っている。だからもっと早く行きたかったのにな、と吾郎は汗を軽く拭いながらまた歩き出した。
寿也は言葉通り、甲子園で優勝を手にし、また選抜選手としてアメリカに渡った。プロ入りも確実だとマスコミが書きたて、どこの球団が狙っているのか、憶測が飛び交っている。そんな身だから忙しいのは当然で、九月に入り、彼がやっと実家に戻ってきたことを知った。そして、会いにいくなら今しかないのだということも。
何とか辿り着いた、懐かしいバッティングセンターを前に、吾郎は大きく深呼吸をした。
互いの状況を語り終わると、さっきまでとは一転して寿也は黙りこくってしまった。何か悪いことを言っただろうかと必死で考えるが、何も思い付かない。
「どうかしたのか?」
いたたまれなくなってそう尋ねると、寿也は少し拗ねたような素振りを見せる。
「どうして連絡くれなかったの?」
「連絡……?」
「退院したとか、ギブス取れた、とかさ。会いにいくって言ってから何も音沙汰ないんだから」
心配したんだよ、こっちは。
思わず寿也を凝視して、そのせいか彼は居心地悪そうに目を伏せた。
「……悪かった。あと、待たせちまったことも」
「それは別に、気にしてないよ」
嘘だとすぐに見破れた。もちろん寿也は行動には出していない。けれども勘というか、もはや本能が感じたのだ。
嘘つくな、と言うと、途端に寿也が目を見開いた。
「お前、そういうの苦手だろ?だからなるべく早く来ようと思ってたんだけどな」
大きな瞳をぱちぱちとさせて、しばらく何も喋らないままだった彼は、やがてゆっくりと息をついて笑った。テレビに映る、少し強張ったものではない、等身大の笑みだ。
「……知っててあんなこと持ち掛けるなんて、随分意地が悪くなったんじゃない?」
「それ、寿にだけは言われたくねーな」
「僕がいつ意地が悪くなったんだよ」
さすがに試合のときとは口に出せず、曖昧にごまかすと、少々納得がいかないようで寿也がそっぽを向いた。吾郎がまだ厚木にいたときも、時々そんな風に子供みたいな態度をとる時があったことを思い出す。
「寿」
「どうかした?」
「……ただ呼んだだけ」
何それ、と半ば呆れたように見つめるまなざしも、優しく包みこむ笑みも、一年前からそのままだ。
今の雰囲気はあの頃と似ているけれど、でも吾郎が彼に向ける気持ちの種類は全く違ったものになっていた。二枚の騙し絵のようだ。そのくらい、吾郎以外のものは変わらない。それに少し悔しさを覚えた。でも、もう焦る必要はどこにもないと言い聞かせる。プロでもしかしたらバッテリーを組めるかもしれないし、違うチームでも、この間までとは状況が違うのだから。
「……黄金バッテリー、期待してないけど、組めるといいね」
静かな声に、寿也も似たようなことを考えていたのかもしれないと思った。確実に本質は違うだろうけど。
「少しは期待しろよ!」
「だって吾郎君、そういう期待を全部裏切る達人だからね」
「うっ……」
反論不可。
ちくしょーと髪をかきあげると、隣で穏やかに笑う寿也が一瞬、寂しそうな目をした。見間違えかもしれないが、吾郎はそれに吸い込まれるように視線を合わせる。
「寿……」
彼は困ったように首を傾げた。やはり気のせいだったのかもしれないが、寿也から目が離せない。何しろ一方通行な恋心を自覚したときはすでに海堂から出た後だったのだ。いくら彼を見たくてもそう簡単には出来なかったし、試合中以外のテレビ等の前では、寿也は素の表情をかけらも見せなかったのだ。
いつの間にか日常になっていた寿也という存在の大きさが、胸を埋めつくしていく。心臓が高鳴るのを抑えきれずに、吾郎は唇を重ねていた。
無意識のうちに起こしてしまった行動に対して何かを考える間もなく、吾郎は強い力で肩を押されてバランスを崩しかける。その隙に口許を押さえながら寿也が立ち上がった。驚愕の色に満ちた瞳に見下ろされ、自分がしてしまったことを強く後悔した。
「と、」
「……ごめん」
名前すら呼ぶことを許されずに、その場から走り去る寿也の背中を見送ることしか、今の吾郎にはできなかった。